性欲と精神(3.日本での性風俗の蔓延について)

ようやく3つ目です。
期間が空いてしまったのは、忘れていただけです(T_T)

まだお読みでなければ、注意書き兼目次を先にお読み頂き、興味が湧いたら読んでみてください。

3.日本での性風俗の蔓延について

思春期に性欲を自由に解放できた人間がどれほどいるでしょうか。
基本的人権の尊重を基本原則とする日本では、
身分による強制解放はできないと考えます。

そのため、苛烈な性衝動を抑圧する思春期を過ごすことになり、
運動や学業に打ち込んだり、ゲームや漫画など2次元に走ったり、
疑似行為でごまかしたりします。

これは性への解放ではなく、逃避で、精神へ強い影響を与えると考えます。
自由にならない性に対して、あきらめる理由を並べ立てたり、言い訳したり、
見ない振りしたり、無視したり、さらには嫌悪感を疑似的に作り出し、対象を嫌いになることで
情動を安定させたりします。

さらに、疑似行為を重ねることで、偽物の体験を多くし、
偽物の精神ができあがります。

聖人君子とは大違いですね(T_T)


そうした歪んだ精神の表れが、日本での性風俗の蔓延にも
あらわれていると考えます。
インターネットの発展と、公安の頑張りにより、性風俗は安心・安全に遊べる施設と
なりつつあるのではないでしょうか。

お金を介在することで、本来ならば精神を大きく成長させる過程を
スキップし、いきなり性行為に及びます。
ここで注意したのは、売春ではなく、性風俗という点です。
性の対象はいるとしても、あくまでも疑似行為の延長となります。

歪んだ性には、歪んだ解放が必要なのでしょうか。
恋人や奥さんがいるのに、性風俗のサイトを覗いている人は想像より多いと思います。
まともな性の解放では歪みが足りず、性風俗は蔓延していきます。
罪悪感を正当化するために、精神は歪み続けます。


思春期の頃に「好きだ」と言えたか、言えなかったか。
その小さな差は、時間とともに広がり続け、大人になった時に形成される精神に
大きな差を生じさせます。

我慢することが聖人君子のような誤解がありますが、
実際は逆で、大いに性を解放し、その後、内省することで聖人君子になるパターンを
1.と2.で見てきました。

聖人君子を目指す必要はないですし、複雑な社会の中で、
自分の身を守るのも大変ですが、人生で1度くらいは、
人を好きになり、口説き、惚れさせ、性を解放するステップを踏むことで
精神を磨く必要性を改めて見直す時期ではないでしょうか。

2.キリスト教の場合

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    Excerpt: この内容はキリスト教を著しく貶めると感じる可能性があります。 まだお読みでなければ、注意書き兼目次を先にお読み頂き、興味が湧いたら読んでみてください。 Weblog: 涙目ブログ racked: 2015-05-09 10:35